東京地方裁判所八王子支部 昭和30年(わ)647号 判決 1958年12月16日
被告人 木田忠 外一名
主文
被告人両名を各懲役五月に処する。
但し本判決確定の日より各二年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、証人向井弘に支給した分は被告人木田の、証人鈴木照司に支給した分は被告人矢吹の各負担としその余は全部被告人両名の平等負担とする。
本件公訴事実中、向井弘巡査部長に対する公務執行妨害、傷害の点につき被告人矢吹昭三は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
東京調達局においては、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(以下単に日米行政協定と称する)の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法(以下単に特別措置法と称する)及び土地収用法に基き、東京都北多摩郡砂川町地内の米軍立川飛行場拡張予定地の測量を実施することゝなり、昭和三十年十月八日同局局長は内閣総理大臣に対し、特別措置法第四条に基き、拡張予定地の土地収用認定申請をなし、同月十四日内閣総理大臣により特別措置法第五条による予定地の収用認定がなされた、そこで同局長は同法第七条第二項により所定の公告をなすと共に予定地の所有者、関係者等に通知し、更に土地収用法第三十五条に基く立入調査を行う旨を通知し、同法第三十六条第二項所定の立会を求めたが、その文書の受領を拒絶されたので同条第四項により砂川町長に対し立会を求めた、しかし同町長から何等の回答がなされないので東京都知事に対し、同条第五項所定の立会人の派遣を求め、八洲測量株式会社に委任して測量の実施をすることとなつた。
是より先、同年五月四日東京調達局長より砂川町長に対し、約五万三千町歩に及ぶ立川基地拡張計画を実施する旨の通告がなされたが、関係農民等は右計画が実施されるにおいては砂川町は分断され、百二十六世帯はその宅地及び農地を失い、全町民の生活に甚大な損害を蒙るものとして、右計画の実施に反対するため基地拡張反対同盟を結成し、関係当局に対し基地拡張反対の陳情をなすと共に、世論に訴え拡張計画の中止を求める運動を展開し、隣接十二ヶ町村議会、各種民間団体の支援を受け、漸次その反対運動は広汎且つ強力に推進されることとなり、更に同年六月頃、同同盟においては三多摩地区労働組合協議会を中心として、国鉄、全逓、日教組等の各労組に対し支援を要請した結果、同年八月末頃、基地拡張に反対する各労組の支援組織は再編成され、三多摩地区のみならず東京都所在の各労組を含め砂川町基地拡張反対支援労働組合協議会(以下支援協と称する)が結成され、反対同盟の所謂無抵抗の抵抗を標榜する反対運動を支援する態制を整えその運動に参加するに至つた。
かゝる情勢のうちに東京調達局においては同年六月三十日より同年九月十四日頃までの間数次に亘り拡張予定地周辺の骨格測量を行つたが、同年十一月一日より愈々前記手続に基き予定地内の農地に立入り測量を実施することになつたので、従前の測量反対行動に鑑み東京調達局長は地元農民等による強力な測量阻止の反対行動あるべきことを予期し、同日警視庁に対して、収用予定地の測量実施に際し、測量業務、竝に測量関係者の生命、身体の保護のため警察官の派遣方を要請した上、同日及び同月二日、四日の三次に亘り、調達局員及び八洲測量株式会社の測量員等を砂川町に派遣したが、その都度、町民及び支援協所属の労組員等の反対に遭い、測量に着手するに至らずして引揚げるの已むなきに至つたので、同月五日に予定された測量の実施については、警視庁に対し警察権の発動を強く促し、その援護の下に測量を強行することとし、警視庁においても同日の測量実施に対し遂に警察官の派遣を決定するに至つた。
かくて十一月五日、警視庁第八方面本部長指揮の下に警視庁第一乃至第四、第六及び第七各予備隊約千六百名の警察官は午前七時四十分頃第八方面本部に集結した後、一部約八百名の警察官は測量予定地周辺の警備、警戒に当り他の一部約八百名の警察官は午前十時過頃八洲測量株式会社の測量員十五、六名の外調達局職員及び東京都知事の派遣した立会人等を含む一行約二十八名と共に砂川町三番三叉路に到り、同所附近において警察官等の予定地進出を阻止しようとして待機していた支援協所属の約三百名位の労組員等と遭遇して、もみ合い、これを五日市街道上阿豆佐味天神境内に押し退け、ついで砂川町役場前道路上に転進した労組員等を排除して役場前広場附近に後退せしめ、同日正午前後には第一乃至第四、第六、及び第七各予備隊は悉く測量予定農地の周辺西側より南側一帯に亘り立川基地第三ゲートより役場に通ずる道路及び同ゲートより基地の柵に沿う道路を確保する態勢をとり第三ゲート附近を中心として集結を了した。
而して当日予定された測量は基地内に設けられた基点から基地に隣接する拡張予定農地中東西約三百米の距離内に南北に第一乃至第四の測量線を定め、その測量線に該る約二百米に亘る各農道上に夫々四ヶ所の図根点を逐次基地側である南から北に進んで測定し、これに杭を打込む測量作業であつたが、第一測量線に該る農道(以下に第一測量線と称する、第二測量線以下同旨)の入口は第三ゲート附近にあつたところから同所附近の農地内においては、前記のとおり警察官の集結を了した頃には、測量に反対する地元農民等が婦女子を中心として三、四十名集り、旗や竿を振り労働歌を合唱して測量反対の示威をしており、又応援に来ていた国会議員、都会議員等の数名は都の立会人等に対し、その資格を争い、測量の中止方折衝をしていた。
然るところ同日午後一時五十分過頃に至り国会議員等と立会人及び調達局職員等との話合いは物別れとなり、調達局側においては予定のとおり測量を決行することとし、測量員等は一斉に第一測量線の入口農地内に立入つた。しかしあくまで測量を中止せしめようとする二、三の国会議員等は測量員等の前に立塞がりその進行を阻んで話合いに持ち込まうと努め又その頃農地内にあつて事態の推移を見守つていた地元農民等の中には藁を燃して煙を立てたり、肥桶から糞尿を藁束や笹の葉につけて振り撤いたりしている者があつたがこのとき逸早く警察官の一隊数十名は第一測量線入口附近に設けられてあつた柵を踏み越えて農地内に立入り忽ち測量員等の進行を阻止していた国会議員等を押しのけ、附近にいた地元農民等を追い払い第一測量線の両側に二列に並んでその中に測量員等を入れその防護隊形を固めて測量に当らせると共に「測量をやめてくれ」「畑を踏まないでくれ」等といゝながら近付かうとする人々を寄せつけず、測量が南から北に進み測量線が延長するに従い逐次多数の警察官は農地内に立入り第一測量線の測量を終了する頃までには第一乃至第三予備隊は悉く農地内に入り、測量線上の見透し等を確保するため測量線の両側に並び、測量を妨害しようとする者等を排除して測量を援護しつゝ測量の進むにつれ逐次第一測量線より第二、第三、第四の各測量線に移動した。その間第四及び第七予備隊も農地内に立入つた。
測量の進行に伴いこれを阻止しようとする地元農民等も次第にその数を増し、第一測量線の測量の際には畑地内で藁等を燃して煙を立てたり、藁や笹に糞尿をつけて振り廻したり、農道上に糞尿を撤いたり、測量線上に立塞つたり横断したり、測量員に寄りかかつて測量のポールが立たないようにしたりし、又第二、第三測量線においては前記のような妨害行為の外、土、砂、石、芋等を警察官等に投げつけたり、測量線上に坐込んだり、集団で測量線上を横断したりし、更に第四測量線の測量が始められた頃には地元農民等の応援要請により馳せつけた全日通、全国金属、全電通、都労連、国鉄等の各労組員等二、三百名は第四測量線の最終測量地点たる第四図根点(第一線より数えれば第十六図根点)と第三図根点(第一線より教えれば第十五図根点)の中間附近において基地に向い四列位に並び農道上に坐込んで測量員等の進行を阻止しようとした。
警察官等は前記の如く第一測量線より第四測量線に至る測量中終始測量員を防護する隊形をとり、且つ測量線の見透し等を確保する隊列を維持し、前記各種妨害者を測量線に寄せつけず、或は排除し、殊に第四測量線における前記坐込みに対しては労組員等を一人一人引抜いて警察官の隊列の中に送り込み、これを測量線の東西両側の農地内に分散排除し、測量員の進路を確保してその通行を容易ならしめ、予定された最終地点の測量に移らせたのであるが、このとき同日午後四時十五分頃、第二予備隊携帯無線班長巡査部長向井弘もまた同隊の一員としてこれ等警察官の隊列あつて終始行動を共にしていたが第二予備隊の本部が第四測量線北方附近において移動を始めたため、隊列よりやや遅れ第四測量線上第三図根点を越えて第四図根点方向に赴かんとした際、五、六十名の労組員の集団がスクラムを組み第四測量線を西側から東側に横切り移動しようとして来るのに会し、その前面を駈け抜けようとしたところ該集団の最前列にいた一労組員により左腕を掴まえられその集団のスクラムの中に引き込まれた。
被告人木田忠は、そのとき、その集団の隊列の中にあつたのであるが、当日、国鉄労働組合新橋支部共斗部長として支援協の要請により砂川町に集結した約千五百名の労組員に加わり、はじめ、同日午前十時頃五日市街道砂川町三番三叉路附近において警察官等の予定地進出を阻止しようとして待機していたところ同十時三十分頃同所に到着した警官隊に押し退けられ、その後役場前道路に転進したが、同所においても警官隊に排除されて役場前広場に退き休息しているうち同日午前三時過頃地元農民等から要請を受け、測量阻止の目的を以て国鉄労組員等と共に五日市街道方面から予定地内の農地に到り折柄測量の開始されようとしていた第四測量線上に坐込んだが、間もなく前記の如く坐込が排除されるや、第四測量線の西側に逃れ、同じく排除されて集まつて来た国鉄その他の労組員等と共に、更に東側に集合するため前記五、六十名の集団を形成して第四測量線を横切り東側に移動しようとしていたものであつたが、向井巡査部長が同集団の中に引き込まれるや、集団中の数名の者と意思を共通にしそのまま同巡査部長を第四測量線東側十米位の地点まで押し運び同所で転倒した同巡査部長に対し他の数名と共にその顔面、身体等を殴つたり蹴つたりして暴行を加え因て同人に対し左上下眼瞼挫滅創、右上下眼瞼打撲、鼻根部打撲症、左肩胛関節、左上膊骨打撲等加療約三、四週間を要する傷害を負わせた。
折しもかかる情況を目撃した第一予備隊巡査塩満続等数名の警察官はその場に駈け寄り塩満巡査は被告人木田の左腕を掴んで数歩後に引き戻し塩谷喜一、和田耕造、井崎章等数名の警察官において同被告人を公務執行妨害、傷害現行犯人として逮捕し、引致しようとして第四測量線附近を南下して行つた。
被告人矢吹昭三は、当日国鉄労組新橋支部執行委員青年部長として被告人木田と行動を共にしていたが、第四測量線の坐込みが排除せられた際、同測量線の西側に逃れていたところ、被告人木田が逮捕され多数の警察官に取囲まれて第四測量線の第三図根点南方西側測量線附近を連行されて行く途中警察官から殴られたりしている様子に見受けたので、これに近付き「止めろ」「不当逮捕だ」等と叫びながら抗議してこれを釈放せしめようとし取り囲んでいる警察官を押し分け被告人木田に近づいて行つたところ被告人木田の引致に当つていた第一予備隊鈴木照司巡査がこれを制止しようとして被告人矢吹の左腕を引張り、囲みから引出さうとするや矢庭に同巡査を蹴り上げ、因て同巡査に対し加療三日を要するものと診断された畢丸打撲傷を負わせ、同巡査の職務の執行を妨害した。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人木田忠の判示所為は刑法第二百四条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人矢吹昭三の判示所為中公務執行妨害の点は刑法第九十五条第一項に、傷害の点は同法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するが、被告人矢吹昭三の判示公務執行妨害と傷害とは一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段、第十条により重い傷害の罪の刑に従い所定刑中各懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人両名を各懲役五月に処し、犯情に鑑み同法第二十五条第一項により本判決確定の日より、いづれも二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により証人向井弘に支給した分は被告人木田の、証人鈴木照司に支給した分は被告人矢吹の各負担とし、その余は全部被告人両名の平等負担とする。
本件公訴事実中
被告人両名は他の数名と共謀の上、昭和三十年十一月五日午後四時十五分頃砂川町千百四十七番地先畑内において、東京調達局竝に八洲測量株式会社が実施していた測量事務に対する妨害行為の排除と測量員の身体保護のため警戒行動を採り公務の執行をしていた警視庁巡査部長向井弘に対し殴打したり蹴飛ばしたりして暴行を加え以て同巡査部長の職務の執行を妨害したとの点、及び被告人矢吹は右暴行により同巡査部長に対し全治まで一ヶ月を要する左上下眼瞼挫滅創、右上下眼瞼打撲、鼻根部打撲症、左肩胛関節、左上膊骨打撲等の傷害を負わせたとの点については、被告人木田は犯罪不成立、被告人矢吹は犯罪の証明不十分であるからいずれも無罪である。
被告人木田について公務執行妨害罪が成立しないとする理由は次のとおりである。
検察官は、向井巡査部長等警察官の本件農地内における職務執行は警察法第二条、警察官職務執行法第五条及び第六条に基くもので適法である旨主張する。
証人久保卓也の証言によれば、本件における警察官の職務執行は警察法第二条竝に警察官職務執行法第五条及び第六条に依拠して行われるべきものであつたことは明らかである。
警察官の抽象的な職務範囲は警察法第二条の規定する如く広汎に亘るのであるが、その具体的な職務権限はこれを規定する各個の法令に基いて生ずるのである。
本件警察官の職務執行状況に徴すれば、後述被告人矢吹昭三に対する措置は別として、概ね前記久保卓也の証言する如く警察官職務執行法第五条、第六条を根拠としてその具体的職務権限を行使せんとする趣旨に出た行動であると解せられるので、警察官の農地立入り竝に農地内における職務執行が同法第五条、第六条所定の要件を具備していたか否かにつき検討するに、本件収用予定地である農地が同法第六条に所謂他人の土地であることは論を俟たないところであるから、測量員等の立入権についてはともかく、本件派遣警察官については、犯罪がまさに行われようとする危険な事態が発生し、人の生命、身体等(財産については本件において殆んど問題とするに当らない)に対し危害が切迫した場合において、危害予防等のため已むことを得ないと認めるときは合理的に必要と判断される限度において、立入権限が認められるのであり、又犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは必要な警告を発し又もしその行為によつて人の生命身体等(財産については前同様)に対し危険が及ぶ虞があつて、急速を要する場合に、初めて適法に制止の職務を行うことができるのである。
ところで、証人提英雄の証言によれば、当日の測量は農地内に予定せられた第一乃至第四の測量線について行われたのであるが、その測量は午後二時頃から午後四時三十分頃まで概ね二時間三十分内外にして全部終了したことが認められるので、一測量線の測量所要時間は平均三十数分であるところ、証人久保卓也の供述によれば、警察官は午後二時頃二百四、五十名が測量予定農地に入り、次いで二十分位して三百七、八十名が入り、更に十分位して百七、八十名が入り、その後三十分位して二百数十名が入つたというのであるから、測量開始より三十分以内に五百数十名の警察官が農地内に立入り、一時間以内には既に八百名を超える警察官が農地内に立入つたことが認められるのである。して見ると第一測量線の測量中既に数百名の警察官が立入り、第二測量線の測量以後においては八百名を超える警察官が農地内に立入つていたものと推認できるのである。
証人加藤栄、同稲生利行等の各証言により第一乃至第三予備隊が略々第一測量線の測量を終る頃までに、又第四予備隊が第二測量線の測量中に夫々農地内に立入つたことが認められることは右推認と符節を合するものである。
ところで最初数十名の警察官が農地内に立入つた際の状況については前判示のとおりであつて、かゝる状況を以つてしては未だ測量員等の生命、身体に対し危害が切迫したものと認め難いこと明らかであり、又その後前認定のとおり短時間内に数百名の警察官が農地内に立入つたのであるが、かかる多数の警察官の立入りが、合理的に判断して必要な限度においてなされたのであるとするに足る状況の変化を認め得る証拠は十分でない。即ち前判示のとおり各測量線において判示のような各種測量阻止行為が行われたのであるけれども、これら行為の大半は既に数百名の警察官が立入つてから後に行われたものであること前認定のとおりであり、而もこれら妨害行為のうち、農地に糞尿を撤いたり、笹や藁に糞尿をつけて振り廻したり、藁等を燃して煙を立てたり、測量線上に立塞つたり横断したり、又は農道上に坐込む等の行為の如きは単に測量自体を妨害しようとする行為に過ぎないものと認められ、直接人の生命、身体等に対し危険の及ぶ行為とは謂い難く、これにより測量員等の生命、身体に対し、危害切迫し又は危険の及ぶ虞ある状況を生じたことは認め難い、尤も前示土、石等の投擲行為は、それ自体、身体等に対する危険の虞なしとしないけれども、かゝる投石等の行為を目撃している旨を供述している証人横山進、同稲生利行、同塩満続、同塩谷喜一の各証言と、これら証人と行動を共にしながらその事実を目撃していないと認められる供述をしている証人加藤栄、同向井弘、同広瀬亨、同和田耕造等の各証言とを対比すれば、既に大半の警察官が立入つた第一測量線の測量中には、かゝる投石等の行為の行われた形跡なく、第二測量線の測量以後において、地元農民等の中にその行為に出たものがあつたのであるが、主として警察官に対して行われたのであり、又どの程度の人数の者によつてなされたかは確認し難いところであるけれども、寧ろ、前記の如く広汎な地域内において、長時間に亘る測量中に而も石等の多数あらうとも思えね畑地内での出来事であることに鑑みれば、かゝる投石等の行為は、局所的、散発的に行われたものに過ぎないことが窺えるのである。しかしながら叙上のような各種測量阻止行為と雖も、多数の測量反対者等が、測量施行地内にあり、又その周辺にも応援労組員等が集結していた際であるから、警察官としては、事の成行如何によつては如何なる危険な事態への推移をも保し難いものと判断したのであらうけれども、現実の事態としては、前記のような各種妨害行為が行われたに止まり、前示の状況に徴すれば、第一測量線に多数の警察官が立入るべき理由のないことは勿論、第二測量線以降においても、投石等の行われた特段の場合の外、判示の如く多数の警察官の立入りを合理的に必要なものと認めるに足る状況の変化は認め難いのである。寧ろ妨害行為の大半が多数警察官の立入り後に行われたものであること、竝に、証人久保卓也、同宮岡政雄、同宮崎光治の各証言、当庁昭和三十年(モ)第三七六号証拠保全手続調書等からも窺える如く、多数警察官の農地立入りにより農作物等に被害を与えたことが地元農民等を刺戟した一面の存することを否定し難い事実に鑑みれば、警察官としては、測量予定地周辺の公道若は管理者の許諾を得た土地にあつて、不測の事態に備えて警戒、警告の職務に当り、測量妨害行為等の推移如何により危害切迫するに及んで農地内に立入り又前示投石の如く人身に危険の及ぶ虞あるに至つて農地内に立入り、警告、制止の職務を執行するは格別、前示職務執行状況に照らし、前記各種測量妨害行為の成行を充分見極めることなく直に人身に危害切迫し若くは危険の及ぶ虞あり、急を要するものとして行動したものと認められることはその行動些か早計であつたものと謂うべく、未だ叙上のような状況を以てしては、数百名の警察官が終始農地内に立入りを継続して警告、制止の職務に当らなければならないような生命身体に対する危害切迫の状況乃至これに危険が及ぶ虞があつて急速を要する事態が存続していたものとは認め難い。
第一予備隊員である証人山内辰郎が測量予定地に立入るときには現実に保護しなければならないような行為はなかつた旨供述していることは立入り当時の消息を物語るものであつて、右認定の一資料となるものである。
果してそうであるとすれば前示特段の場合の外、警察官において本件農地内に立入り得べき要件たる事実の存在しないに拘らず違法に農地内に立入つたものであり、又農地内において警告、制止等の職務を執行し得べき要件たる事実の存続しないに拘らず違法にその立入りを継続していたものであると謂わざるを得ない。
更に農地内における測量妨害行為に対する警察官の職務執行方法について、これを本件測量妨害中最も組織的であり、その規模も最も大きかつたものと認められる第四測量線における坐込みの排除、状況について見るに、証人細江貞助、同佐々木茂夫、同湯山源三、同飯島政則等の各供述によれば、坐込み排除に当つた警察官中には、労組員等を一人一人引抜いて警察官の隊列の中に送り込み、殴つたり蹴飛ばしたりする暴行を加えた者もあることが認められるのであつて、その際労組員等において若干の抵抗を試みたであらうことは想像し得ないところではないけれども、測量員等の生命、身体に直接危険が及ぶような行為に出たことは、これを認めるに足る証拠なく、単に測量自体を阻止するため、その場に坐込んでいたものと認められるのであるから、相当な方法により排除するは格別、その排除行為に当つて右に認められるような暴行をなしたことは、制止により却て被制止者の生命、身体に危険を及ぼすものであつて、かくの如きは、片手に与えて片手に奪うに外ならず、生命、身体等に危険の及ぶ虞ある行為を合理的に必要と判断される方法、程度において阻止する権限を認めようとする法規の趣旨に反し、もとより適法な制止の限界を逸脱するものであること明かである。
以上の次第であるから判示警察官出動要請の経緯、警察官の農地立入り状況竝に農地内における職務執行状況等に照らせば警察官の農地立入り及び農地内における行動は、東京調達局の実施しようとする測量の援護に偏向したるやの嫌なしとせず、その職務執行をなし得る具体的権限発生の要件竝にその職務執行の方法、程度等執行の要件のいづれの点より見るも、前示格別の場合を除き、その職務執行が終始適法に行われたものとは認め難い。
而して向井巡査部長は、その証人としての当公判廷の供述により明らかな如く、第二予備隊に所属し、その一員として叙上警察官と行動を共にしていたものであるところ、同証人は午後一時半頃我々は前進して来た五日市街道を引返し三叉路の手前から第三ゲートに通ずる道路に出て第三ゲートに向つて進み、第三ゲートの手前から町役場に出る道路に出た。その位置から役場の方を見ると役場の方に人員不明の労組員が道路一杯に拡がつておつたが第四予備隊が実力行使によりこれを排除したと思われ、その場にいた労組員はいなくなつた、そこで我々は第三ゲートの方に少し引返し畠の畔道を通つて第一測量線に入つた旨及び第一測量線に入つた時既に測量が終つていたので第二測量線に移つたが、その際先程第四予備隊に排除されたと思われる労組員が役場の方から二手に分れて第一測量線に歩いて入つて来たので、一個分隊を出してその警戒に当てたが、別に妨害する様子も見えないので本隊に戻して第二測量線の警戒に当つた旨供述しており、これによれば第一測量線に立入る際、何等人の生命身体に対する危害切迫したような状況を認識せず、又そのような状況もなかつたことが窺えるのであり、又同証人の証言によれば、妨害行為としては第二測量線において罵声による妨害、第三測量線において藁や笹を燃して煙を出す行為、藁や笹に糞尿をつけて振りかける行為等を認識したに止まることが明かであるから、人の生命身体に危害切迫し又は危険が及ぶ虞があつて急速を要するような事態があり、その認識の下に前判示行動をしていたものとは認め難く、他に同巡査部長の判示暴行を受けた際の職務行動につき特に警察官職務執行法第五条、第六条所定の前記要件を具備していたものと認むべき証拠はないから所詮その職務執行が適法に行われていたものとは認め難い。
従つて向井巡査部長において、その職務執行が適法であると信じて農地内にあつたものとしても、当時の客観的状況に照らし、同法第五条、第六条所定の要件たる事実の存否につき無関心であつたか、誤認があつたものというべく、その誤認は己むを得ないものとして首骨し難いところであるから、もとよりその職務執行を適法とすることを得ない。
よつてこれに対してなされた判示暴行については公務執行妨害罪は成立しない。但し右は判示傷害の罪と一罪の関係にあるものとして起訴せられたものと認められるので、この点につき特に主文において無罪の言渡をしない。
次に被告人矢吹について向井巡査部長に対する公務執行妨害、傷害の点の証明が十分でないとする理由は次のとおりである。
証人広瀬亨は茶色ジヤンパーの男は倒れている隊員の東側の腹の脇に立ち、黒つぽい開襟様の服を着た男は頭の横に背を南方に向けて立ち、それぞれ腹と頭を中腰になつて手拳で殴つたり土足で蹴つたり二三度しているのを見た旨及びその黒つぽい服を着ていた男が矢吹である旨の供述をし、一見検察官の主張に副うようであるけれども、同証人の証言によれば、同証人は茶色ジヤンパーの男を捕えようとして転倒したりしているうち黒つぽい服を着た男に逃げられたというのであつて、その黒つぽい服の男が矢吹である旨の供述はその記憶の根拠となるべき被告人矢吹の逮捕に至る経緯についての具体的事実と関連なく、単に結論的に述べられているのみであつて、同人の証言からも黒つぽい服の男に逃げられてから後のその男の行動については何等認識がなかつたことが明かであるばかりでなく、当時国鉄の制服である黒つぽい服を着用していた者は多数あり、その暴行を加えた男を現認したのも混乱の際の瞬間的のことであると認められるのであるがこれに対し暴行者の服装の認識その他において記憶が一層正確であると認められる、証人稲生利行は「倒れた警官の左側で頭を蹴とばして逃げ出した国鉄の制服を着て白い運動靴を履いた男をつかまえようとし、その左腕をつかんだ時つまづいて倒れ逮捕することができなかつた、左側から頭を足蹴にしていたので印象に残つているが矢吹とその時の男とは別人だと思う」旨供述しており、又証人細江貞助、同佐々木茂夫、同湯山源三及び被告人等の当公判廷の各供述によれば、被告人矢吹は第四測量線における坐込が排除せられた際同測量線の西側に逃れ、被告人木田等の五、六十名の集団が東側に移動した後も同測量線の西側に残つて組合員の集合に努めていたというのであり、これら各供述と対比し前記広瀬亨の証言は、にわかに信用し難く、他に被告人矢吹が向井巡査部長に対し暴行を加えたとの事実を確認するに足る何等の証拠もないから結局犯罪の証明がないものと謂わなければならない。
よつて刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなすべきものとする。
弁護人等は、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約及び日米行政協定は憲法に違反する。殊に日米行政協定は国会の承認を経ていないから不成立乃至無効である。従てこれに基く特別措置法も違憲無効であり、同法による本件測量は違法である。よつてこれを阻止しようとする行為は犯罪にはならないから警察官職務執行法所定の事由に該らないに拘らず、その事由に該るものと認めて職務の執行をなし、且つ測量を援護実施せしめた警察官の行為は違法であるから、これに対し暴行が行われたとしても公務執行妨害罪は成立しない旨主張するものと認められるが、向井巡査部長に対する公務執行妨害の点については、被告人等はいづれも無罪である理由を既に判示したので、弁護人等の右主張に対しては更に判断を須いない。又鈴木照司巡査の職務執行については、前判示のとおりであつて刑事訴訟法に基く強制処分としての現行犯逮捕手続に関する職務執行と認められるので、弁護人等の右主張は関係ないものと認め、その判断も亦示さない。
更に弁護人等は本件鈴木照司巡査を含む多数の警察官はその職務執行に当り被告人等両名に対し特別公務員の暴行致傷に該る違法な行為をなしたものであるから、その職務執行は違法であつて、これに対する暴行は公務執行妨害罪にならない旨主張するものと認められるのでこの点について検討するに証人細江貞助、同佐々木茂夫、同湯山源三、同野沢源之介、同飯島政則、同名雪実等の各証言、被告人両名の当公判廷の各供述、医師杉山順作成及び医師加納清作成の被告人等に対する各診断書等によれば、被告人木田においては、その逮捕されるに際し、又逮捕連行の途次において、被告人矢吹においては、逮捕された際、いづれも警察官等により殴られたり、蹴られたりして、被告人木田は顔や足に全治約二十日間を要する傷害を蒙り、被告人矢吹も腹部打撲や鼻血を出す等の負傷をしたことが認められる。現行犯逮捕の如く緊急の際で、とかく冷静を保持し難い場合においても、国民の基本的人権を不当に侵害することのないよう心掛くべきことは勿論であるに拘らず、右認定の如き結果を発生したことは警察官等の行為に行き過ぎがあつたこと明白であつて、その責任は看過し得ないところであるけれども本件鈴木照司巡査がその職務執行に当つて、被告人等両名に対して暴行を加えたものと認むべき何等の証拠がないのみならず、被告人矢吹の負傷はその供述によれば、手錠をかけられた後に警察官等から激しく殴られて鼻血を出すに至つたことが認められ、又証人鈴木照司の証言によれば同巡査は被告人矢吹から蹴られたため、公務執行妨害の現行犯人として逮捕し手錠をかけたものであることが認められるところ、被告人矢吹が同巡査に対し判示暴行を加える際には、同被告人は、被告人木田に近ずかうとしていたのであるからこれを取り囲んでいた警察官等が、被告人矢吹を寄せつけないようにするため小突き廻すようなことはあつたとしても、これによつて直に鈴木巡査の判示職務執行が違法であつたものと謂うことはできないから、同巡査の職務執行が違法であるとして公務執行妨害罪が成立しないとする弁護人等の主張は採用できない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 恒次重義)